「あさま山荘事件」からまもなく49年…元兵士・植垣康博氏と加藤倫教氏に聞く「連合赤軍」、「山岳ベース事件」(21/02/01)

 1960年代、日本は高度経済成長期を迎える一方、長期化するベトナム戦争や日米安保条約改定の問題をめぐり、学生たちが活発な政治運動を行っていた。そんな中で行動を過激化させていった中核派などの“新左翼”。


 しかし共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流し誕生した連合赤軍の内部で発生した、自らの行動を振り返らせる“総括”と称する集団リンチ殺人「山岳ベース事件」、そして5人が保養施設に立てこもり9日間にも及ぶ銃撃戦を演じた「あさま山荘事件」の後、運動は急速に大衆の支持を失っていく。


 あれから49年。1日の『ABEMA Prime』では、1971年~1972年に発生、12人が命を落とした山岳ベース事件で仲間の殺害にも加担することになった植垣康博氏(72)と、山岳ベース事件で共に運動に参加していた兄を亡くし、その後の「あさま山荘事件」で籠城の末に逮捕された加藤倫教氏(68)に話を聞いた。


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